『教師の「語り」がクラスを支える』
二 語らなくなった教師
3 実感・信念がない
信念とは、あることをかたく信じていること、また、信じている思いや考
えそのもののことです。こういうものをもっている人ともっていない人とで
は、語りにも差が生まれます。
信念をもっていると、自分が信じていることと同じ事実や思いに触れた場
合に、心が大きく揺れ動きます。感動して心が動きます。また反対に、自分
が信じていることと大きくかけ離れた事実や思いに触れた場合にも、心が大
きく揺れ動きます。落胆や怒りに心が動くのです。これが実感です。
そうやって心が大きく動いたとき、人はその気持ちを誰かに伝えたくなり、
表現を始めます。その相手が子供の場合、教師の語りとなって現れることに
なります。つまり、信念をもっている教師は、表現したくなる機会が多くな
るということです。
さて、そのような目で今の学校現場を見てみましょう。教師としての信念
と言えるほどのものをもって教育に当たっている先生は、残念ながら少なく
なってきているように思います。教師自身の不勉強もあるかもしれませんが、
一教師の信念に基づく教育は、学校教育の中に埋没せざるを得ないような状
況にあるというのも事実です。もはや、教師一人一人の個性を大きく打ち出
すような教育が難しくなっているのかもしれません。
しかし、教師の信念は教育の理想や目的のある部分と合致していて当然で
す。そうでなければなりません。教師の信念を学校教育目標と関連させる形
で表現していけば、現在でも信念に基づいて教育を行うことは無理なことで
はないと思います。
ぜひ、信念をもって教育にあたり、そこから湧き起こる実感に基づいて、
子供に多くを語っていきたいものだと思います。
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