卒業式であまり歌われなくなった「仰げば尊し」
しかし、歌うなと言われたわけではありません。
・古くからずっと歌っている「仰げば尊し」ではなく、別の新しい歌を卒業
式では歌ってみよう、それが教育の場にふさわしい新進の在り方だ。
・子供のための卒業式なのだから、子供が歌いたい歌を歌わせたい。
・「仰げば尊し」は立身出世を奨励しているから、民主主義にそぐわないの
ではないか。
・自分たちは職業や立場として教師なのであって、恩を感じてもらうような
師ではないから、ふさわしくない。
このようなことが教育現場から出され、だんだんと歌われなくなったのでは
ないでしょうか。
とくに最後の、自分はそれほどのものではないから、子供に「我が師の恩」
と歌わせるのは申し訳ない、という気持ちは、たぶん多くの教師に共通のも
のだと思います。
いや、教師に限らず、自らをそのように思うというのは、日本人には難しい
感情なのでしょう。
しかし、そう思って「仰げば尊し」を歌わないということは、一見すれば、
謙虚で慎ましく誠実な教師像を表しているのかもしれませんが、私はその反
面で、大きなものを同時に失くしてしまったと思っています。
それは、
┌───────────────────────────
│我が師と呼ばれ、恩に感謝されるほどの教師であろうとする気概
└───────────────────────────
です。
それほどの教師になるのは難しいでしょう。
また、教師自らが本当にそう思っていたとすれば、傲慢で鼻白む話です。
でも、そうではない自分を自覚しつつ、それでも、そうあろうとする気概を
もつことは、教師にとって何より大事なことのひとつであると思います。
決して失ってはならないもののひとつです。
「仰げば尊し」を歌えば、それがとりもどせるというものではありませんが、
卒業の時期に「仰げば尊し」を聞く度に、この歌から、私は
「お前にその気概はあるか」
と問われているような気になります。
そして、いつも、子供に申し訳ないと思います。
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