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★2月 2日(土)素材研究講座A
https://kokucheese.com/event/index/548612/
★2月 3日(日)素材研究講座B
https://kokucheese.com/event/index/548638/
※どちらも内容は同じです。
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今から20年くらいも
前のことです。
不登校についての
パネルディスカッションに
教員として
登壇したことがありました。
私の横には
不登校の子の親の会の
代表の方がパネラーとして
座りました。
その方が発言の中で
「学校はむしろ無い方が
いいと思うんですね」
とおっしゃっていました。
文脈としては
子供の不登校の原因は
学校にあるのだから
そのような学校は
むしろ無い方がよい
というものでした。
私はその時、
その言葉を否定することが
できませんでした。
理由のひとつは
否定する明確な論理を
もっていなかったことで、
もうひとつは
否定してはいけないような
雰囲気を
感じていたからです。
(だから、論理を
構築することもなかった)
その後、ことあるごとに
「学校は無い方がよいのか」
と自問しています。
よく学校教育は
社会に出てからは
役に立つことは少ない
とか、
学校では
社会で役に立つことは
ほとんど教えないとかと
言われます。
しかし、それは
そう考える人が
学校教育を
理解していないだけです。
学校で教えることは
「内容」と「方法」です。
確かに、
「内容」だけを取り上げれば、
キャリアとしては
弱いものが多いでしょう。
かけ算九九は
社会生活をする上で
役立ちはしますが、
人生で必須のものでは
ありません。
だから、
かけ算九九を
指導する時間を使って
金銭教育をしてはどうか
という考えになります。
これは、学校教育を
「内容」だけで
考えているからです。
私たちは
2年生の子供たちが
「九九」を暗記するために
かなりの努力をすることを
知っています。
ひとつの段の九九を
先生の前で諳(そら)んずる
ことができたときに
子供たちが小さな(大きな)
喜びを感じることも
知っています。
何かを得るためには
努力が必要なこと、
努力が報われれば
小さな幸せを感じること
こういうことも
教育であり
それが「方法」です。
「何かを得るためには
努力が必要であり、
その努力が報われれば
小さな幸せを感じる」
このことを存分に体験して
卒業していった子たちは
これを大きな武器として
自分のキャリアを
積み上げることができるでしょう。
学校教育には
こういうことを十分に
経験させるという
側面もあるのです。
そういう意味で
学校教育が無駄だとは
全く思いません。
また、教師である我々も
このことを十分に自覚して
子どもたちを教え導かなくては
ならないでしょう。
むしろ、
後者についての教育に
力を入れなければ
なりません。
教育は
コンテンツ偏重であっては
ならないのです。
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