★年末年始など、心新たに生活していこうとする気持ちを高めたい時。
もう亡くなってしまいましたが、小沢道夫さんというお坊様がいました。
このお坊様は普通の人と違っているところがありました。
それは2本の足ともひざから下がないということです。
それで、小沢道夫さんは「足なし禅師」と呼ばれました。
禅師というのは、立派なお坊様を尊敬して呼ぶ言い方です。
小沢さんは大正9年に生まれました。
大正9年は1920年ですから、今からもう100年近く前ですね。
小沢さんは20歳のときに戦争に行きました。
戦争が終わってからシベリアというところに連れていかれて働かされました。
シベリアというところは、今のロシアにあってものすごく寒いところなんです。
8月下旬には雪が降ることがあるんです。
マイナス73度という、人が住んでいるところでの世界最低気温を記録したこともあります。
そんな寒いところで働かされました。
ある日、逃げようとした仲間を止めようとして、小沢さんが鉄砲で右肩を撃たれてしまったんです。
それで働けなくなったので、日本が戦争をしていた頃の病院に行かされたんですね。
貨物列車に乗って行くんですが、囲いがないんです。
風があたって寒いですよね。
しかもマイナス30度とか40度の気温です。
服装は夏の服装で、食べ物も飲み物も少なく、一緒に行った500人くらいの人のうち半分くらいは亡くなってしまったのです。
生き残った人たちも凍傷といって、寒さで手足がだんだんと壊れていく病気になってしまいました。
小沢さんも両足が凍傷になってしまったんです。
病院についたのですが、薬も治療のための道具もあまりありません。
小沢さんはひざから下を切ってしまわないと、凍傷がどんどん広がって死んでしまうような状態でした。
でも、足を切るという大変な手術をするというのに、麻酔のための薬もないんです。
しかも、担当の医者は内科の医者で、手術はその時が初めてだったそうです。
想像を絶する痛さだったそうです。
小沢さんはその時のことをこう言っています。
「最初のメスが私の脛の肉を切り裂いた。
一瞬、私の歯がカチンと噛みあい、全身がギリッと音をたてて硬直した。
それは痛いなどという言葉とは別である。
『痛い、痛い、痛い』と百万遍さけび、その百万遍の痛さを一瞬間に凝縮したとでも言えばいい。
私は想像を絶した痛さに身体を硬直させたまま呼吸をすることができない。」
それでも小沢さんは痛みに耐え、何とか命を取り留めました。
でも、その手術と同じくらいの痛みがその後1か月続いたと言います。
そして、小沢さんは動かすのが不自由な右手に加えて、両足の膝からしたがないという体になってしまったんです。
そんな小沢さんは、結局働けないと判断され、突然帰国命令が出ました。
ひとりでは動けませんから、小沢さんを担架に乗せて運ぶ4人が一緒に帰国することになったそうです。
しかし道のりは1500kmもあり、そこを歩いて行かなければなりませんでした。
出発して3日目の朝、小沢さんが担架の上で目を覚ました時、4人の姿はどこにもなかったそうです。
小沢さんは満州という人がほとんどいない荒れた土地に置き去りにされてしまったのです。
そのままだったら、小沢さんは確実に死んでしまったでしょう。
食べ物もないですし腹を空かした野犬がたくさんいましたからね。
でも、なんという幸運でしょうか。
そこに日本に引き揚げる途中の開拓団が通りかかり、小沢さんは開拓団の人たちに助けられて、日本に帰ることができたのです。
奇跡的に日本に帰ってきた小沢さんは、足の再手術を受けました。
面会に来たお母さんに
「いっそのこと死んでしまおうと思ったが、帰ってきました」
というと、お母さんは小沢さんの足をなでながら
「よう帰ってきた」
とぽつりと言ったそうです。
しかし、生きて帰ってきたとはいえ、食べるためにお母さんやお兄さんのお嫁さんや妹たちが必死に働いているのに、何もできない自分を思って絶望します。
死んでしまおうと思ったこともあったそうです。
小沢さんは小さいときから信じていた観音様に祈りました。
観音経というお経を一生懸命唱えました。
でも、何も変わりませんでした。
だから、自分は仏様にも見捨てられてしまったのだ、もう甘えるのはやめよう、と決心したのです。
そうやって決心した時、心の中であることがひらめいたそうです。
それは、
「苦しみの原因は比べることにある。
比べる心のもとは27年前に生まれたということだ。
27年前に生まれたことをやめにして、きょう生まれたことにするのだ。
両足切断したまま、きょう生まれたのだ。
きょう生まれたものには一切がまっさらなのだ。それで一切文句なし」
ということでした。
手も足も自由に動いた昔の自分と比べるから、今が苦しいんだと考えたのですね。
そしてそのもとにあるのは、27年前に自分が生まれたということだというのです。
だから、27年前に生まれたということはもう忘れてしまおう。
そして、今日、両足のない、右手の不自由な、この体で生まれたことにしよう。
それでもう何にも文句なしにしよう。
そう考えたのです。
そして、次の4つのことを心に決めてそれからの人生を過ごしました。
その4つというのは、
一 微笑を絶やさない
一 人の話を素直に聞こう
一 親切にしよう
一 絶対に怒らない
ということだそうです。
こうして小沢さんは、最後は岐阜県のお寺の住職さんになり、58年の生涯を終えました。
小沢さんは何度も、腕や足がちゃんと動いていればよかったと思ったでしょうね。
でも、いつまで考えていても、腕や足が動くことはありません。
そう自分に言い聞かせるために、「本日ただいま誕生」というすごい考え方を自分で発明したわけです。
小沢さんほどの大変さはなくても、私たちもたまに、こうだったらよかったのにとか、こんなふうにできれば最高だったなあとかと、できない自分、できなかった自分を思って、後悔したりうらやましがったりすることがあります。
でも、どんなに後悔しても時間はもとにはもどりませんし、どんなにうらやましがっても今の自分が変わることはありません。
そんなふうに思ってがっかりしながら毎日を過ごしていても、何もいいことはないでしょう。
そんなときは小沢さんのように、自分はたった今生まれたんだ、ここがスタートなんだ、と思って、昔のことはきれいさっぱり忘れることも大切なことではないでしょうか。
誰にでも、できなかったことや嫌だった思い出があると思います。
でも、そういうことをずっと考えていると、自分の心がどんどん沈んで行ってしまうでしょう。
昔のことは忘れて、今日生まれたというフレッシュな気持ちで、たった今からがんばってみてはどうでしょうか。
その方が自分の力も心もどんどんと伸びていくのではないかと先生は思いますよ。
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