★女子は男子に比べて他者評価に敏感なのだろうか。~さんがにらんでいる、~さんがこっちを向いてひそひそ話している、~さんが悪口を言っているみたい、などと疑心暗鬼になって訴えて来ることがある。不安な気持ちは受け止めつつ、そういう子に少しだけ強い心を持ってもらいたいと思う時に。
先生は毎朝6時頃家を出て学校に来ます。
途中、6時10分頃、自転車をこいでいく男の人を追い越すんですね。
この男の人は40歳くらいの人なんですけど、結構体の大きい人で、自転車から左右にはみ出すようにして乗っているんです。
しかも、足を大きく開くようにしてペダルをこぐので、そのたびに体が左右にゆれて、自転車も左右にゆれるんですね。
だから、追い越す時にはぶつからないように気をつけながら追い越します。
心の中では、「もっとまっすぐこいでほしいよな~」と思いながら追い越します。
その上、この男の人は信号を守らないんですね。
先生が赤信号で止まっていると、後ろから来て平気で止まらずにそのまま行ってしまうことがあります。
それで、先生はその男の人を見るたびに「まっすぐこがないで危ないし、信号も守らないし全くしょうがない大人だな」と思っていました。
ある日、家を出る時刻がちょっと遅くなった時がありました。
しばらく走っていて「おや?」と思ったことがあったんですね。
それは、思いがけないところでその男の人を見たからです。
男の人は、いつもと同じように、足を自転車の両側に張り出しながら、体を左右に振って自転車をこいでいました。
でも、その場所はいつも先生がその男の人を見る場所よりも、ずっとずっと遠くだったのです。
先生は驚きました。
「自転車でこんなに遠くまで来てるんだ。それにこんなに早い時刻に」
たぶん、朝の6時頃にはその男の人も家を出るのでしょう。
それから30分以上も、寒い中、自転車をこいで毎日どこかに通っているのです。
ちょっとすごいなと思いました。
そう思ったとき、不思議なことがおきました。
その男の人に対して今まで先生が思っていた「ちゃんと自転車もこがないし、信号も守らないし、しょうがない人だな」という思いがちょっと変わったんですね。
「自転車のこぎ方も良くないし、信号も無視するけど、けっこうがんばってるおじさんだな」というふうに。
これ、そのおじさんは何も変わっていないんですね。
でも、先生の見方考え方が変わっただけなんです。
もう一つお話しますね。
先生がある日勉強に行っていたときのことです。
席は自由だったので、空いているところに適当に座ったんですね。
隣にも知らない人ですが座っていました。
ところが、勉強が始まる前に、隣の人がノートパソコンを取り出したんです。
ああ、パソコンで勉強の記録をとるんだなと思っていると、やっぱりそうでした。
ところが、その人のパソコンの腕前は相当にすごくて、ものすごいスピードで打っていくんですね。
しかも休みなくずっと打ち続けているんです。
その音がすごく気になるんです。
あまりに気になって、肝心のお話に全然集中できないんですね。
「なんでそんなに大きな音でキーを打つのかな」とか「だいたい、こんなところでパソコンで記録を取るのはうるさいって分からないのかな」とか「ちょっと常識がないんじゃないの」とか、そんな文句ばっかりが頭の中に浮かぶんです。
これじゃあせっかく勉強に来た意味がないから、集中しようと思ってもどうしようもありませんでした。
そのうち、休憩時間になったんです。
「はあ~」と思っていると、隣の人が話しかけてきたんですね。
「パソコンの音がうるさくてすみません」て。
まあ、「そうですね」とは言えないので、「いえ大丈夫ですよ。でも、ものすごくキーを打つスピードが速いですね。驚きました」って返事をしたんです。
そうしたら「ありがとうございます。仕事なのでちょっと速く打てるんです」って言います。
「先生のお話を全部打ってるんですか?」
「そうですね。だいたい全部打っているつもりです」
「へ~、すごいですね。じゃあ、そのまま記録になってしまうんですね。いいですね~」って言ったんです。
そうしたら「よかったら、データを後で差し上げましょうか」と言われて、先生はすごくうれしくなってしまいました。
休憩時間が終わって後半が始まって、その人は相変わらずすごいスピードでパソコンを打っていました。
でも、先生は最初の時のようにその人に文句をいうような気分はすっかりなくなっていました。
考えてみれば、これも不思議なことですよね。
お隣の人は最初からずっと同じようにパソコンを打っているわけですから、同じように聞こえているはずです。
でも、後半は気にならなくなっていたんです。
自転車の話もパソコンの話も、同じことを教えてくれているのではないかと、先生は思います。
それは、同じことが起きていても自分の考え方、気の持ち方次第で、よくもなるし悪くもなるということです。
ということは、起きていることそのものがいいとか悪いとかということではなくて、自分でその出来事をいいと思うか悪いと思うかということが重要だということです。
私たちはともすると、悪い方へ悪い方へと考えてしまい、起きていることは何でもないことなのに、自分でその出来事を悪い出来事にしてしまっていることがあります。
でも、考え方次第では悪い出来事ではないと思えたり、もしかしたらよい出来事だと思うこともできるのですね。
だったか、悪い出来事だと思うよりもよい出来事だと思った方が、ずっとずっと幸せではないでしょうか。
何か気になることがあるときには、そんなふうに思えるといいですね。
実際にそう思ってみると、たとえ少しであっても気分がよくなってくるのではないかと先生は思います。
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