最善を目指すあまり次善を否定し最悪を招く。
最善=ほめて・認めて子供を教育する
次善=厳しく鍛えて子供を教育する
最悪=子どもの規範意識が低下する
こういうクラスをたくさん見てきました。
この場合、最善と次善が本当に最善であり次善であるかは分かりません。し
かし、一般的にそう言われています。
ところが、ほめて・認めて子供を教育するのは簡単ではありません。
子供の能力だけを、ほめて・認めて伸ばすのは可能です。つまり、その力だ
けに限って、限定された局面で伸ばすことは可能です。しかし、子供の日常
はそれだけに限りません。
つい、悪口が口をつく、つい手が出てしまう子もいます。機を見ても臆して
何もせずに見ている子もいます。ルールがあるのについ破ってしまう子もい
ます。しかも、1度や2度では収まりません。集団の中での役割を再三すっ
ぽかす子もいます。忘れ物をする子や宿題の未実施の常習者もいます。
こういう子をどうやってほめて・認めて教育していくのか、そこのところが
難しいのです。
算数の計算問題が不得意な子を、スモールステップで指導しながら、できた
ところまでをほめて・認めてやる気にさせて、段階を追って教えていくこと
はやりやすいのです。
しかし、ほめて・認めることが最善だからと、厳しく鍛える教育を否定し、
悪口が出ても、手が出ても、何もしなくても、ルールを破っても、厳しくす
ることをせず、ほめて・認めることを続ければどうなるか。
絶対に、とは言い切れませんが、多くの学級が、規範意識の低い規律のゆる
い学級になっていくでしょう。
否定されるべき言動が否定されないから、当然の結果です。
「ほめて・認める教育が最善」だからと「叱って厳しく鍛えるという次善」
の方法を否定し、結果として「規範意識の低い」学級を作ってしまうという
ことは避けるべきではないかと思います。
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