4月6日~4月15日は春の交通運動期間でした。私は地区の交通安全協会
の理事になっていますので、交通立哨をしたり、交通監視所でビラやティ
ッシュを配ったりしました。
その仕事の中に、交通安全運動実施中という幟旗を立てるというものがあり
ます。幸いなことに旗を立てる場所は自宅の近所の、しかも自分の家の田
んぼの脇です。
さて、旗を立てたのはいいのですが、その旗をしまうのをうっかり忘れてい
て、1週間も余計に立てたままでした。つまり、旗をしまったのが今日だ
ったというわけです。
出勤の際にその場所を車で通ります。気付くと、「ああ、旗をしまわなけれ
ばならないな」と思うのですが、帰りには忘れています。
どうしてこうも忘れてしまうのでしょうか。
自分の意識が低いというのが最大の理由ですが、それ以外にあることに気づ
きました。
それは、不思議なことに
「旗が見えない」
ということです。
毎朝、そこを通っているのに旗が見えないのです。何故でしょうか。
理由の一つは「目立たない」ということです。
旗そのものも目立たないのですが、意識して見てみると、類似の幟旗が、沿
道に実に多いのです。それぞれに何か書いてありますが、それぞれを読むこ
とはありません。
もう一つの理由は「見ようとしない」ということです。
目立たないから見ようとしないのでしょうが、その他にも「慣れてしまって」
見ようとしないのです。いつも同じところにあるので、風景の一部になって
しまっているのです。
さて、これと同じことが教室内や校舎内の掲示物にも言えるのではないでし
ょうか。
学校にはたくさんの掲示物がありますが、その多くが「見られていない」よ
うに思います。見られるようにするには、
○目立たさせる工夫
○慣れさせない工夫=いつも新鮮さを感じさせる工夫
が必要です。
つまり「変化」です。
小さくても「変化」をさせることが大事なのです。
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