PTAの歓送迎会で、ある保護者の方からこう言われました。
「子供が山中先生は怖いって言うんです。だから、全然そんなことないよ、
すごく話しやすいよって言うんですけど、その違いが信じられなくて。」
「私は、大人にはやさしいけど子供には厳しいんです」
「え~そうなんですか? 子供が先生の授業がある時は忘れ物がないように
すごく確かめてます」
「それはお子さんが真面目だからですよ。忘れ物で叱ったことはないです。
忘れちゃったものはしょうがないし、人は忘れるものですからね」
「どんなことを叱るんですか?」
「礼儀とかマナーとかが欠けている時とかですね。お辞儀なんて最初はちゃ
んとやりませんからね。」
怖い先生は悪い先生ではありません。
怖がられながら楽しい授業をするのがいいと私は思っています。
怖がられずに楽しい授業をしていると、往々にして授業がだれたりはめを
外し過ぎたりしてしまいます。
マキャベリは「君主論」でこう言います。
「いったい君主にとって、愛されるのと恐れられるのはどちらがいいか」
(中略)
「だれしも両方を兼ね備えていることが望ましいと答えるであろう。だが、
この二つを同時に具備することはむずかしい。したがって、かりにそのど
ちらかを捨てて考えなければならないとすれば、愛されるより恐れられる
ほうがはるかに安全である。」
多くの教師も大人も「愛されたい」のは山々です。だから子供に愛される
ように振る舞います。
許し、支援し、不都合に目をつぶり、認め、励まし、・・・
こうして培った人間関係は居心地のよいものです。
しかし、それは平時の場合です。
事が起きたとき、教師の言葉も指導力も子供に十分に届かないでしょう。
だから、私は怖がられながら楽しい授業をします。
ただし、怖がられることと認めることは両立します。
怖がられながら子供を指導し、指導によって成長した子供を認め、楽しい
授業をするのです。
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