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愛されるより恐れられよ

PTAの歓送迎会で、ある保護者の方からこう言われました。

「子供が山中先生は怖いって言うんです。だから、全然そんなことないよ、
 すごく話しやすいよって言うんですけど、その違いが信じられなくて。」

「私は、大人にはやさしいけど子供には厳しいんです」

「え~そうなんですか? 子供が先生の授業がある時は忘れ物がないように
 すごく確かめてます」

「それはお子さんが真面目だからですよ。忘れ物で叱ったことはないです。
 忘れちゃったものはしょうがないし、人は忘れるものですからね」

「どんなことを叱るんですか?」

「礼儀とかマナーとかが欠けている時とかですね。お辞儀なんて最初はちゃ
 んとやりませんからね。」

怖い先生は悪い先生ではありません。
怖がられながら楽しい授業をするのがいいと私は思っています。

怖がられずに楽しい授業をしていると、往々にして授業がだれたりはめを
外し過ぎたりしてしまいます。

マキャベリは「君主論」でこう言います。
「いったい君主にとって、愛されるのと恐れられるのはどちらがいいか」
(中略)
「だれしも両方を兼ね備えていることが望ましいと答えるであろう。だが、
 この二つを同時に具備することはむずかしい。したがって、かりにそのど
 ちらかを捨てて考えなければならないとすれば、愛されるより恐れられる
 ほうがはるかに安全である。」

多くの教師も大人も「愛されたい」のは山々です。だから子供に愛される
ように振る舞います。
許し、支援し、不都合に目をつぶり、認め、励まし、・・・

こうして培った人間関係は居心地のよいものです。
しかし、それは平時の場合です。
事が起きたとき、教師の言葉も指導力も子供に十分に届かないでしょう。

だから、私は怖がられながら楽しい授業をします。

ただし、怖がられることと認めることは両立します。
 
怖がられながら子供を指導し、指導によって成長した子供を認め、楽しい
授業をするのです。
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[C53] Re: 同感です。

耳障りのいい言葉、
居心地のいい言葉
が多いですね。

その結果、どうなってきたのか。

指導が悪かったのか、指導が徹底しなかったのが悪かったのか。

指導方法と結果との因果関係をはっきりさせて指導法の是非を
問うことが大切だと思います。
  • 2012-04-25 05:42
  • 山中伸之
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[C103] 感動しました。

はじめまして。
私は教育業界ではありませんが、
管理職で人を教える立場にあります
厳しく育成をしていますので
部下の成績は上がり、強い営業には育ちますが、感謝されるどころか嫌われます。自分のスタイルに疑問を持ちつつ、偶然にもこの記事に行きつきました。力を頂きました。ありがとうございました。
  • 2014-03-22 13:06
  • 和泉
  • URL
  • 編集

[C104] Re: 感動しました。

和泉様
ご感想をありがとうございます。
私の記事を役立ててくださってありがとうございます。
「部下の成績は上がり、強い営業には育つ」のですから、和泉様の指導力はすばらしいです。
またそのようなことに心を痛められるのですから、誠実で部下思いの方なのでしょう。
「俺は本当は・・・」と本心を部下の皆さんに伝えられるといいですよね(飲み会なんかで)。

私は「寛厳自在」に憧れます。
それは寛と厳のバランスがとれるよう両者を自在に使い分けるということです。
使い分けるのですから、それぞれを手段であり手法であると客観視することになります。
そう割り切れるといいなと思っています。
  • 2014-03-24 04:39
  • yamanaka
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[C105] 敢えてマキャベリには疑問を投げかけてみたいと思います

高校で教師をしております。
私も若い頃は「愛されるより恐れられるのがはるかにいい。」という君主論の考え方に傾倒していた時期がありました。生徒からなめられやすい自分の資質もあったり、学校全体の生徒の雰囲気が落ち着かず、安定させるために強い態度で接しなければという経験もありました。
ただし、厳しい指導には自ずと限界があると思います。
教育の手段の一つとして厳しく接する場面は必要だと思うのですが、それが目的化すると体罰などの別の問題を引き起こすことになります。
また厳しい指導だけに慣れてしまった生徒は厳しい先生の前では当然おとなしく真面目にふるまうでしょうが、いつまでたっても自分で自分を律することを学べず、別の場面になると手のひらを返したように悪さをするという困った生徒になることが多いです。そしてその弊害は厳しくない先生に向いてくるという事が多いように思われます。

ネイティブアメリカンの教えを紹介しますので、君主論と比べてみてはいかがでしょうか?

批判ばかり受けて育った子は非難ばかりします
敵意にみちた中で育った子はだれとでも戦います
ひやかしを受けて育った子ははにかみ屋になります
ねたみを受けて育った子はいつも悪いことをしているような気持ちになります 
心が寛大な人の中で育った子はがまん強くなります
はげましを受けて育った子は自信を持ちます
ほめられる中で育った子はいつも感謝することを知ります
公明正大な中で育った子は正義心を持ちます
思いやりのある中で育った子は信仰心を持ちます
人に認めてもらえる中で育った子は自分を大事にします
仲間の愛の中で育った子は世界に愛をみつけます

政治の世界の理論をそのまま教育の世界に持ち込むことには疑問を感じましたので、敢えてコメントさせていただきました。
  • 2014-03-30 15:01
  • 齊藤
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[C106] Re: 敢えてマキャベリには疑問を投げかけてみたいと思います

齋藤様

コメントをありがとうございました。
そうですよね。政治と教育は別物ですから、あまりに傾倒するのは考えものですね。
ネイティブアメリカンの教えを教えてくださってありがとうございました。
肝に銘じておきます。
いろんな道を知っている方が便利で楽しいですね。
これからもご意見ご感想をよろしくお願いいたします。

  • 2014-03-30 21:46
  • 山中伸之
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[C107] 先生の

「寛厳自在」というお考えには大いに賛同できるところがあります。私の場合、厳しくしていても自分の弱さで徹底できず、ついつい甘やかしてしまう事のほうが多いので、私の方こそ、そのことを肝に銘じておきたいと思います。
ところで「失敗談」として「侮られる」という記事が以前ありましたね。私も似たような経験があるので大変興味深く読ませていただきました。
知りたいのは、先生の場合、その経験からどのように学校や教室内に「秩序」を取り戻したのか、あるいは生徒から侮られることなく、畏怖や尊厳、信頼関係を得ているのかという点です。基本的なお考えなど紹介していただければと思います。
  • 2014-03-31 06:46
  • 齊藤
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yamanaka339

Author:yamanaka339
栃木県で小学校教員をしています。
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