近所でお悔やみがあり、お通夜に参列しました。
天理教の葬儀で、数名で奏でる雅楽の演奏の中で、斎主、斎員4人による、
みたまうつしが執り行われました。
滞りなく終わって最後の最後に、斎主が祭壇に一礼をした時、ふと思いまし
た。
神道の葬儀は全てが儀式であり、型である
ということです。
装束も、歩き方も、詞の読み方も、持ち方も、お辞儀の仕方も、忍び手の打
ち方も、榊の献じ方にも、全てに型がありました。
他の宗教の葬儀と言っても仏教とキリスト教しか出たことはありませんが、
どちらにもこれほどの型はありませんでした。
改めて、日本は型の文化なのだという思いを強くしました。
日本は型の文化を創り上げ、その型を受け継ぎながら文化を育ててきたので
しょう。
授業の最初と最後にお辞儀をするのも、儀式の最初と最後にお辞儀をするの
も、実質的な意味はあまりないとも言えます。それでも、そういうところを
重んじているのは、儒教の教えもあるのかもしれませんが、型を大事にして
きた国民だからとも言えるのではないかと思います。
日本人のマナーや作法は、今でも総じて世界中から好意的に受け入れられて
いると聞きます。
型を大事にしていくことは、中味を大事にしていくのと同じほどに大切なこ
とだろうと思います。
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学級づくりも,「こういうときは,こうする」といった型(作法)がしっかり守られていると崩れにくくなります。