私の勤務地では、儀式の最初と最後に
「修礼」(しゅうれい)
と言って、子供も教師も保護者も来賓も、参加している人全員で、立って、
お辞儀をします。
司会者が「修礼」と言うと、多くの場合ピアノの和音が奏でられます(ドミ
ソ)。この和音を合図に起立します。また、既に起立している場合は気を付
けの姿勢を取ります。
続いてまたピアノの和音が奏でられます(レソシ)。この和音を合図にお辞
儀をします。そして、次のピアノの和音が奏でられるまで頭を下げたままで
います。
3回目のピアノの和音(ドミソ)で、気を付けの姿勢にもどります。
この後「着席」と司会が言うこともありますし、そのままの姿勢で、会を進
めることもあります。
この「修礼」は、私が子供の頃から、儀式の際には必ず行われてきました。
小学校、中学校、高等学校、大学は儀式的行事そのものの記憶がないのです
が、就職してからも、ずっと儀式の際には行われてきました。
なので、私は、
「修礼」は儀式の際には必ず行うものである。
「修礼」はピアノの合図で行うものである。
と固く信じていました。
それが、「修礼」を行うのはむしろ少数派だと知ったのは十数年前のことで
した。
教育の世界にも、こういう「思い込み」は多いのだなあと、改めて思います。
そう言えば、出張等で不在の教師の代わりに臨時に教室で教えることを、私
の地域では「補教(ほきょう)」と言いますが、「補欠」と言う地域の方が
多いのかも知れません。こういうことも、知らないうちは信じて疑いません
でした。
知った上で使うのが一番いいのではないかと思います。
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