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素材研究のその先には 2


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★3月16日(土)
「文学的文章教材の素材研究から発問づくりまで」
https://kokucheese.com/event/index/556370/





これは今から

10年くらい前のこと。




この時の授業は

何だったか覚えてはいないのですが、

おそらく「海の命」

だったような・・・。




それくらいの記憶なので、

授業場面での

発問も覚えていません。




いえ、

「海の命」の発問は

いくらもで覚えていますが、

そのときの発問を

覚えていないのです。




しかし、ふとした

子どもの発言

子どもの仕草を

とてもよく覚えています。




それが印象的だったから。




その時も、

ある発問によって

教室全体で討論を

していました。




A側が主張すれば

B側が反論をし

B側の反論に対し

A側はまた反論し




こんな具合に

授業が進んでいくにつれて

だんだんと白熱し

子どもたちも興奮してきます。




季節は冬です。

暖房は切ってありましたので、

子どもたちは

ちょっと厚着をしていました。




すると、突然

ある男児が私に

「先生、暑いので

 服を脱いでもいいですか」

と言いました。




あまりにも討論に熱中し

頭が沸騰するにつれて

体も燃えてきているのでしょう。




彼は上着を脱いで

シャツ1枚になると

上気した顔をすぐに

教科書に埋めていました。




服を脱ぐのに

いちいち断る必要はないのですが、

きっと彼自身も

特別なことに思えたのでしょう。




自分でも不思議だったのかも

しれませんね。




同じような子は他にも

いたのだと思いますが、

彼が私にそれを訴えたので

強く印象に残ったのでしょう。




体を動かしているわけはなく

討論をしているだけなのに

頭脳を限界まで使って

大変な熱量を発生している。




こんなに白熱する

討論の授業を

子どもたちに

ぜひ体験させてあげてください。




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素材研究のその先には 1



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あれは、もう20年くらい前のこと。

5年生を担任していて、

「わらぐつの中の神様」の

授業をしていたときでした。




私の発問は

「おみつさんは、

 わらぐつを売るのに

 むしろのどのあたりに

 わらぐつを置いたでしょう。」

というものでした。




この発問に対する

明確な答えと根拠は

文章からは読み取れません。




しかし、

子どもたちの意見は

大きく2つに

分かれました。




┌―――――――――┐
| A おみつ      |
|             |
|    B        |
└―――――――――┘
    人通り




AかBかです。




Aは通りを行く人からは

よく見えません。

それに対してBは

とてもよく見えます。




どちらが妥当かで

討論を始めました。




Aを主張する子は

おみつさんが、控えめな性格で

自分のわらぐつを不細工と

思っていたこと、




雪げたは欲しいけれども

これみよがしに人に見せて

売る気満々の

はずがないと、

その根拠を探します。




対して、Bを主張する子は

不細工だけれども

きっちり編み込んであって

自信はもっていたこと、




雪下駄の前で

じっと立ち止まるほど

ほしい雪下駄で

しかも年頃であること




それほど雪げたに

惹かれていたのだと

その根拠を探して

主張しました。




結論は出ないのですが、

それぞれが

関連する文章を

実に緻密に

しかも深く読み取って

いきます。




その結果、

「わらぐつの中の神様」

の読みが、

実に実に深くなっていきました。




討論は白熱し

どちらも説得されないまま

授業終了のチャイムが鳴りました。




私は、いったんそこで

授業を打ち切り

次時に続きをすることを告げ

休み時間にしました。




ところが、

休み時間になっても

子どもたちの論争が

やみません。




それぞれが、

私が立っている

教卓の周りに集まり

それぞれの主張を

闘わせ始めました。




相手が近くにいる分、

授業中よりも白熱し

まさに一触即発。

思わず、私が仲裁に

入るほどでした。




今でもよく思い出す

場面のひとつです。




素材研究の先には

このような白熱授業があります。




こんな白熱する授業を

してみたいと思いませんか。




素材研究マスター講座に

是非おいでください。

お友達とご一緒に

いかがですか。




また、すでにお申込

くださっている皆様。

是非お知り合いの方を

お誘いください。




そして、皆さんがぜひ

子どもたちに

白熱する授業を

勉強のおもしろさを

体験させてあげてください。




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ネロメ


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★2月 2日(土)素材研究講座A
   https://kokucheese.com/event/index/548612/
★2月 3日(日)素材研究講座B
   https://kokucheese.com/event/index/548638/
         ※どちらも内容は同じです。

----------------------------------





インフルエンザという言葉を

よく耳にする季節に

なりましたね。




インフルエンザと言えば

「ネロメ」




ネロメですよ!

ネロメ!

先生なら知ってるよね?

ネロメ。




「ニャロメ」じゃないよ。

「ニャロメ」はこれ↓

https://cache2-ebookjapan.akamaized.net/contents/thumb/l/FJO18260.jpg?20170926143340




ニャロメじゃなくて

ネロメ。

まあ、漢字で書かないと

ピント来ないわな。




根路銘さん。

根路銘国昭(ねろめくにあき)さんです。




インフルエンザウイルス、ワクチンの

第一人者にして、

「日 本 の 誇 り」

 ↑ここ最重要!




かつて、世界に

WHOのインフルエンザセンターは

3箇所しかなかったらしい。

米、英、豪。




日本は毎年

アジアのインフルエンザ情報を

集約した膨大なデータを

提供していた。




これだけ貢献している日本に

センターがないのはおかしい

と、彼は考えた。

そして、WHOに交渉するのだが、

その返事がひどかった。




「WHOも国連の安保理と同じで

 第二次大戦の戦勝国で

 構成している。

 よって日本は入れない」




まあ、今から25年も前だから

そういう考えもあったのかも

しれんけどね、

あまりに旧時代的で

ドン引きだな。




しかし、現実は

それが世界。

今でも。

悲しいけどね。




そこで根路銘氏は

何度も抗議したが返事は同じ、

かえって、うるさい奴と

氏も日本も冷遇された。




さあ、ここで

みんなだったらどうする?




ごめんなさいと謝るか、

開き直って行動に出るか。




彼は、行動に出た。

「あっそう。

 んじゃ、もうね。

 アジアのデータ

 送んないもんね~。

 勝手にやれば」

ってやったのさ。




いや~、漢だね~。




これでWHOは大慌て。

何しろ、インフルエンザの大半は

アジアからだから、

アジアのデータがないと

その年のワクチンがつくれない。




ということは

製薬会社がもうからない。

WHOもそういう資本と

密接につながっているから。

(悲しいけどそれが現実)




それで、向こうが折れた。

そうやって、日本に

インフルエンザセンターが

できたんだそうだ。




だから今、

WHOのセンターは

世界に4箇所ある。

米、英、豪、日。




その他にも

根路銘氏の武勇伝が

ここにいっぱい載ってるから、

子どもたちに

話してあげるといいよ。

http://www.asyura2.com/0401/dispute16/msg/631.html




内容と方法


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★2月 2日(土)素材研究講座A
   https://kokucheese.com/event/index/548612/
★2月 3日(日)素材研究講座B
   https://kokucheese.com/event/index/548638/
         ※どちらも内容は同じです。

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今から20年くらいも

前のことです。




不登校についての

パネルディスカッションに

教員として

登壇したことがありました。




私の横には

不登校の子の親の会の

代表の方がパネラーとして

座りました。




その方が発言の中で

「学校はむしろ無い方が

 いいと思うんですね」

とおっしゃっていました。




文脈としては

子供の不登校の原因は

学校にあるのだから

そのような学校は

むしろ無い方がよい

というものでした。




私はその時、

その言葉を否定することが

できませんでした。




理由のひとつは

否定する明確な論理を

もっていなかったことで、




もうひとつは

否定してはいけないような

雰囲気を

感じていたからです。

(だから、論理を

 構築することもなかった)




その後、ことあるごとに

「学校は無い方がよいのか」

と自問しています。




よく学校教育は

社会に出てからは

役に立つことは少ない

とか、




学校では

社会で役に立つことは

ほとんど教えないとかと

言われます。




しかし、それは

そう考える人が

学校教育を

理解していないだけです。




学校で教えることは

「内容」と「方法」です。




確かに、

「内容」だけを取り上げれば、

キャリアとしては

弱いものが多いでしょう。




かけ算九九は

社会生活をする上で

役立ちはしますが、

人生で必須のものでは

ありません。




だから、

かけ算九九を

指導する時間を使って

金銭教育をしてはどうか

という考えになります。




これは、学校教育を

「内容」だけで

考えているからです。




私たちは

2年生の子供たちが

「九九」を暗記するために

かなりの努力をすることを

知っています。




ひとつの段の九九を

先生の前で諳(そら)んずる

ことができたときに

子供たちが小さな(大きな)

喜びを感じることも

知っています。




何かを得るためには

努力が必要なこと、

努力が報われれば

小さな幸せを感じること




こういうことも

教育であり

それが「方法」です。




「何かを得るためには

 努力が必要であり、

 その努力が報われれば

 小さな幸せを感じる」




このことを存分に体験して

卒業していった子たちは

これを大きな武器として

自分のキャリアを

積み上げることができるでしょう。




学校教育には

こういうことを十分に

経験させるという

側面もあるのです。




そういう意味で

学校教育が無駄だとは

全く思いません。




また、教師である我々も

このことを十分に自覚して

子どもたちを教え導かなくては

ならないでしょう。




むしろ、

後者についての教育に

力を入れなければ

なりません。




教育は

コンテンツ偏重であっては

ならないのです。

教えることは

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★2月 2日(土)素材研究講座A
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★2月 3日(日)素材研究講座B
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↑素材研究マスター講座に

 いらっしゃいませんか。

 今、身に付ければ

 一生使えます。








ずっと若い頃に

旅行であるお寺さんに

いったことが

あってね。




何気なく

本堂を眺めていたら

両側に偈(げ)のような

ものが書かれていて




そのひとつを

よく覚えている。




こう書かれていた。




「教えることは


 学ぶこと


 どちらも何度も


 繰り返し」




深いです。

実に深い言葉です。




しかし、

若い頃は

その深さが

さっぱり分からず




水深5cmの

水たまりくらいにしか

思わなかったのさ。




教えることは

学ぶことでもあるという

単純に現象のことを

言っていると、




そういうくらいにしか

考えなかったわけ。




まあ、それだけでも

実に深い言葉では

あるんだけどね。




「教えることは

 学ぶこと」




だから、

自ら学ぶという

気持ちになって

教えなさいということだ。




結果として、

現象として、

教えていれば学ぶことも多い

ということではなく、




自ら学ぼうと意識して

謙虚に教えること。




つまり

相手から学ぶという

気持ちをもって

教えること、




そういう意識で

教えることができたら

いろんなことを

学ぶことができる。




しかし、

謙虚に学ぶ

という言葉はあっても

謙虚に教える

とはあまり言われないように




なかなか

そういう気持ちには

なれないことも多いな。




そんなことを

つらつらと

電車に乗りながら

考えている

今日この頃であることよ。




今日もこれから

大学で4時間授業。

山本有三






おはようございます。

山中伸之です。




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★2月 2日(土)素材研究講座A
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↑素材研究マスター講座に

 いらっしゃいませんか。

 今、身に付ければ

 一生使えます。








今日は

私の住む栃木市で生まれた

文豪 山本有三の命日で

「一一一忌」です。




これは

「いちいちいちき」

と読みます。




作家の命日を偲んで

その日に名前をつけて

呼ぶことがあり、

これを「文学忌」と言います。




山本有三を

ご存じない方も

たくさんいると

思います。




有名な一節は

「路傍の石」の

中に出て来る

この言葉です。




「たったひとりしかない自分を

 たった一度しかない一生を

 ほんとうに生かさなかったら

 人間うまれてきたかいが

 ないじゃないか」




これは、自分の命を軽んじて

鉄橋にぶら下がるという

愚を行った主人公吾一を

担任の次野先生が諭す言葉です。




若い時には

この言葉の素晴らしさが

正直分かりませんでした。




しかし、年を重ねるに従い

この言葉の重みが

よく分かります。




畢竟、教育は

自分を大事にし

自分を生かそうとする

そういう子を育てる

ことではないかと思います。




日常の些末に

多くの時間を奪われて

根本を見失っては

このような教育はできません。




次野先生は

こうも言っています。




「学校ってものは

 身体と身体のぶつかり合う処だ。

 先生の魂と生徒の魂とが

 ぶつかり合う道場だ、




 それで初めて生徒は

 何ものかを体得するのだ。

 一生忘れられないものを

 身につけるのだ。




 そうでない学校なんて

 学校じゃない。

 人間のはきだめだ。」




学校は道場で

魂と魂が

ぶつかりあう処。




人間のはきだめに

ならないように

したいですね。




久しぶりに

『路傍の石』を

読んでみます。

              (山中伸之)




ブラック






おはようございます。

山中伸之です。




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ブラック上等!




長い引用です。

『テレビの裏側がとにかく分かる「メディアリテラシー」の教科書』
(長谷川 豊 著)より

ーーー(ここから)ーーー

例えば、僕の担当していた『とくダネ!』と言う番組について知っていることを記そう。

『とくダネ!』のスタッフは火曜日担当のスタッフが火曜日のオンエアを担当する。

水曜日のスタッフは水曜日だ。

え? 週に1日だけ?

ヘルプで入るときはあるが、基本的には週に1日しかオンエアを担当しない。

なぜか? 

その週1日のために、全力を傾けているからだ。

特にオンエアの前日は壮絶だ。

朝の8時に出社し、打ち合わせをし、取材に出かけ、丸1日かけて、徹底的に取材をし、帰ってきてから、どのようなVTRにするのかを徹底的に打ち合わせし、深夜すぐにナレーション台本があがって来て、それをもとにVTRの制作に入る。

え? 休憩はって? 

そんなもんある訳ない。

トイレに行ったときに15分ほど気を失ってそれで乗り切るのだ。

5分のVTRがテレビ上で流れたとしよう。

編集作業は最速で5時間ほどはかかる。

基本、もっとかかるが、早い人で1分のVTRに1時間かけて作るのが一般的だ。



その上で、僕たちアナウンサーや司会者にどのようなニュースなのかを説明し、どのように展開するのが一番効果的なのかを懸命に考える。

手を抜く人間など誰もいない。

徹底的に作りあげる。

5分のVTRに、4人でも5人でも、体の空くスタッフが総がかりとなり、オンエアにこぎつけるのだ。



スーパー一つとっても、ここで出すスーパーは明朝体がいいのか、ゴチック体がいいのか、それによって印象は変わる。

え? そんなもん一緒だって?

いやいや

一緒だろうか? 

見た目、全く同じだろうか? 

言っとくがこれは同じポイント(大きさ)の文字だ

違うのである。

わずかではあるが、そんなわずかなこだわりのために、テレビスタッフは一睡もせずに、30時間以上働き続けて、『とくダネ!』を作る。

もちろん、オンエアは終わりだが仕事は終了ではない。

その後、スタッフは自分たちの構成のどこがまずかったのかを反省し、さらに上手にテレビを作れるように検討を重ねる反省会に入る。

前日の朝の8時から働いているのに帰路につけるのは早くて昼の12時を超えている。

これはウソでも何でもない。

『とくダネ!』の全スタッフがそうやってテレビを作っている。

家で起きた時間から寝る時間まではゆうに35時間を越す。

ぶっ続けで働くのだ。

これを毎週やっている。

中には若いからという理由で、週に2回、

こういった勤務をしている者もいる。

これがテレビ局のスタッフの働き方だ。なぜそんなにまでして働くのか? 

それはたった一つだ。



視聴者の皆様に楽しんでもらいたい



そのために、自分の寿命を縮めながら毎日働いている。

それがテレビ局のスタッフの本当の姿だ。

『とくダネ!』だけではない。

ドラマのスタッフも、バラエティーのスタッフも、ただ、視聴者の皆様のために、少しでも楽しんでほしいから、ただ、ひたすら働いている。

それもまた、真実なのだ。

ーーー(ここまで)ーーー




ブラックですよね。

でも、やってる人は

ブラックと思わないか

ブラックを楽しんでる

のではないでしょうか。




あいだみつをさんの

言葉に

こんなのがあります。




◇◆◇

なんでもいいからさ

本気でやってごらん

本気でやれば

たのしいから

本気でやれば

つかれないから

 つかれても

 つかれが

 さわやかだから


   みつを

◇◆◇




たまには

(10年に1度くらい)

こんなふうな気合いで

仕事に向かえるといいですね。

              (山中伸之)




人間であるがゆえの悩み







おはようございます。

山中伸之です。




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金八先生の

有名なセリフ。




「君たち、いいですか。

 人という字はねぇ、

 人と、人とが

 支えあっているから

 人なんですよ。」




「人」という字を

「ノ」という人と

「\」という人が

支え合っているって

見たんですね。




このテレビの影響は絶大で

それからは

そういう解釈が

一般的になりました。




まあ、事実は

違ってますけどね。

「人」の字って、

「一人の人」を横から

みた形です。




体の固いおっさんが

前屈をしたんだけど

「手が膝くらいまでしか

 届かんのよ」

っていうポーズを

横から見ています。




支え合っているんじゃなく

一人で支えているわけです。




本当のところは

人は一人で生きていくべきで

一人で生きていけるのです。




それがいつの間にか

♪人は独りでは

 生きて行けないから

なんて歌われて、




いつの間にか

みんなその気に

なってしまいました。




必要以上に

関係性を重視するように

なってしまいました。




ゲシュタルト療法の創始者

フレデリック・パールズの

『ゲシュタルトの祈り』

というものがあります。




----(ここから)----

私は私のことをします

あなたはあなたのことを

してください


私が生きているのは

あなたの期待に

応えるためではありません


あなたもまた、

私の期待に応えるために

生きているのではありません


あなたはあなた、

私は私


もし、

私たちの心が通じ合わなくても、

それは仕方のないことです

そして、私たちの心が

たまたま触れ合うことがあれば

それは最高に素晴らしいことです

----(ここまで)----




この真逆をやっている

そんな人が増えています。




「人という字はねぇ、

 人と、人とが

 支えあっているから

 人なんですよ。」




という考えは、

日本人的かもしれませんし、

思いやりややさしさという

点から考えると

すばらしいかもしれません。




しかし、それが高じて

ゲシュタルトの祈りの

真逆に向かっていないでしょうか。




そういう生き方は

かなりつらいし

苦しいものです。




ゲシュタルトの祈りの

「あなた」の部分を

・夫や妻

・両親

・我が子

・同僚

・友人

・クラスの子

などに読みかえてみてください。




あなたはあなた

私は私




でも、

私たちの心が

たまたま触れ合うことがあれば

それは最高に素晴らしいことです

というように




お互いに

最善を尽くしながら

相手に、過度な干渉や期待を

しないでいる

ということです。




武者小路実篤も

言ってますね。




「君は君

 我は我也

 されど仲よき」




これが最高です。





今年の運勢は?





おはようございます。

山中伸之です。




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5日、鶴ヶ丘八幡宮で

初詣を済ませてから

お神籤(おみくじ)を

ひいたのさ。




昨年は4連続で

「凶」

をひくという

ひきの強さを体験したので、




今年はどうかなと、

変な話

ちょっと期待して

いたんだよね。




で、今回は

1回目から「鳩みくじ」

これは小さい鳩の

お守りが入っているので、

1回200円。




「えいっ」と気合いを入れて

ひいてみましたよ。




不思議なことに

お神籤を開きながら、

期待しているのさ

「凶」かなって。




いや、

さすが、神様。

期待を裏切らない!




ちゃんと「凶」が

出ましたよ。




「今一番苦しい時です。

 苦しむのだと決心して

 一所懸命努力し

 勤めている間に、

 自分が磨き上げられ、

 やがて運が開けます。

 天分を見失っては

 いけません。」




あれ?

これって、

もしかして?

やっぱり!




何と、去年ひいたお神籤と

同じ番号、同じ文。

(昨日の後記に書いたよね)




いや~、

どこまでひきが強いんだ、オレ。

もうこれすごくない?

奇跡だよ。




それじゃあってんで、

去年の4連続に挑戦!

今年は5連続という

人生新記録を目指して!




御嫁様が

「ちゃんと生年月日を

 言いながらひいた?」

とおっしゃるので、




素直なおいらは

2回目は生年月日を

唱えながら

ひきましたとさ。




じゃ~ん。

結果は




















「末吉」!!!!!




う~ん。

微妙。

実に微妙。




いや、末吉はさ

一番好きなお神籤なのさ。

末に吉になるからね。




だけど、今回の流れでは

「凶」が出るかってのを

みんなも期待しただろ?

ちょっとは。




だから、おかしなことに

微妙な感じでござった。

ホント、人間って不思議だよな。




それで、もう1回ひいたさ。

そりゃ当然だろ?

今後は鳩じゃなくて

覡(かんなぎ)から渡してもらうもの。

↑これ表示されてるかな。

 巫見←これを半分の幅にした字。




ガラガラと神籤筒を振って

神籤棒を出しました。

覡さまが神籤箋を?の形に

丸めて渡してくれます。




結果は・・・

「末吉」

なかなか微妙でござった。




「凶」も「末吉」も

大事にいただいて参りました。




昨日も書いたけど

「凶」は慢心を戒めてくれるもの

「吉」は未来を明るくしてくれるもの

そういうものだと思っています。

どちらもありがたいです。




つまり、

要は考え方次第ってわけさ。




コップの水と同じ。




まだ半分あると思うか

もう半分しかないと思うか




それで、大事なのは

そこからの話。




同じコップを見て

2通りに思う人がいるわけよ。




だから何?




そう、だから何なの?

そこが分からないと、

これもまた

何の意味もないのさ。




同じコップを見て

2通りに思うわけ。

まだ半分ある

もう半分しかない。




どっちにも考えられるのさ。




だったら、

どっちに考えると




自分にとって幸せか

(都合がいいか)




って、考えるのさ。




感情的にならずに

冷静に考える。




これが楽観主義。




楽観主義は

理性の力なんだな。




何が好きって訊かれたら






おはようございます。

山中伸之です。




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今日から3学期が

始まる学校も

多いんだろうね。




久しぶりに

子どもたちに会うということは、

子どもたちだって

久しぶりに

先生に会うということだよね。




だから、今日はきっと

子どもたちに

こんなことを訊かれると

思うのさ。




「冬休みに○○に行ったよ。

 先生行ったことある?

 ○○好き?」




「冬休みに○○食べたよ。

 先生○○好き?」




「冬休みに○○して

 遊んだよ。

 先生○○好き?」




まあ、無理矢理

「○○好き」って

訊いてるんだが、

そんなふうに




「○○好き?」とか

「何が好き?」とか

訊かれたらな、

今日はひとつ、

こんなふうに答えてあげよう。




これはチャレンジだからな。

練習だと思って

チャレンジするんだ。

いいか。

や・れ・よ・!




良夫クンが訊いてきたら、

「先生は、

 良夫クンが喜ぶ顔が

 一番好きだよ。

 だから、3学期は

 良夫クンが喜ぶ顔が

 いっぱい見たいな」




もしも、花江さんが訊いてきたら

「先生は、

 花江さんが喜ぶ顔が

 一番好きだよ。

 だから、3学期は

 花江さんが喜ぶ顔が

 いっぱい見たいな」




これだよ、これ!




でもそれって、

同じセリフじゃん!

って思うだろ?

それでいいんだよ!




一人にしか

言わなかったら

かえっておかしなことに

なるだろ。




だから、誰に訊かれても

○○の一つ覚えで

言ってりゃいいの。




そんなこっぱずかスいこと

言えっがよ(栃木弁)

と思ったあなた、

修行が足りん!




何にでも慣れっちゅうのがある。

こっぱずかスいセリフも

100回も言ってりゃ

自然と言えるようになる。




何事もチャレンジだぜ!




3学期の最初の日を

いい気分で過ごそう。


              (山中伸之)


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鶴ヶ丘八幡宮もすごい人でした。
でも、一般参賀の待ち時間に比べたら、あっという間でしたけどね。

さて、↓は、昨年4連続「凶」のおみくじを引いた時に書いたものです。

(ここから)
そんなに何度もおみくじを引いてはいけないという
考えの方もいらっしゃるでしょう。
しかし私はそれほどこだわりがありません。

実は私は初詣をしても、神様仏様に「願い事」は一切しません。
いつもするのは「お礼」です。

お陰様で1年間、家族一同大きなケガや病気もせず
恙なく過ごすことができました。
ありがとうございました。

とお礼を言うだけです。

ですから、おみくじにもお礼を言います。

「凶」のおみくじに書いてあった言葉、

「今一番苦しい時です。
 苦しむのだと決心して一生懸命努力し勤めている間に、自分が磨き上げられ、やがて運が開けます。
 天分を見失ってはいけません。」

これを読んだときまず思ったのは、

今の自分には、ここに書いてあるほどの「苦難」はない。
何と、有り難く、幸せなことだろう。
このおみくじはそれを教えてくれる
ありがたいおみくじだ。

ということでした。

私は「凶」のおみくじも大事にもって帰ります。
だからといって、悪いことが特別起こった気はしないです。
むしろ、神様にいただいみくじ箋を、縁起が悪いからといって
手放してくる方が罰当たりだと思います。
(私が勝手にそう思っているだけで、それを否定しているわけではありません。)

「凶」は慢心を戒めてくれる
「吉」は未来を明るくしてくれる
そういうものだと思っています。
どちらもありがたいです。
(ここまで)

さあ、果たして今年のおみくじはどうだったか!

それは明日。

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yamanaka339

Author:yamanaka339
栃木県で小学校教員をしています。
どうぞよろしくお願いいたします。

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